基肄城跡は、天智4年(665)に大野城(福岡県)とともに築かれた日本最古の山城で、構造上の特徴から「朝鮮式山城」と呼ばれています。
この山城は、唐・新羅の連合軍に滅ぼされた百済の再建を支援するため、朝鮮に出兵した日本軍が白村江(はくすきのえ)の戦いで大敗したため、大宰府を中心とした北部九州の防衛の拠点として築かれたものです。
城の構造は、基山(きざん)[標高404.5m]とその東峰[標高327m]とを土塁と石塁で囲み、その内側の尾根上に建物を造っています。土塁と石塁の長さは約4.3mで、途中に4ヶ所の城門を備えています。南側の谷を塞いでいる石塁には、谷を流れる川の水を通すための水門があります。尾根上の建物は、34ヶ所ほど確認されており、主に武器や食糧などが貯えられたと考えられます。現在は「礎石群(そせきぐん)」と呼ばれる、柱を据えた基礎石だけが残っています。
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